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丸・竹・夷

2013年12月アーカイブ

 園部、綾部、福知山はうっすら「雪化粧」。それが大江、上宮津、宮津・与謝、大宮、峰山までいくと、「雪化粧」というより「雪景色」、かなり積もっています。
  12月29日、今年最後の北部行きでした。前夜は警報もでたほどの大雪でした。29日になると雪はすっかり上がり、青空が広がり、「御日様」がまぶしいほどの光りを放っています。目を細めながら、空を仰いでいると、「こんな青空」、どこかで見たような気がしました。
 しばらくして気づきました。『男はつらいよ』のよくでてきた最後の場面です。いつものとおり、マドンナへの「思い」が実らず、「失意」のなか「旅」へ。しばらくして「旅先」の露天でいつもの口上の寅さん。カメラがすみきった青空を映し出します。見たような気がしたのはその青空でした。さらに、正月ならではで髪をセットした「桜」のところに一枚の年賀状。こどものような字の寅さんからのものです。そして映画は終わります。観客は「なんとはなしに」というのでしょうか、それぞれなりに「満足」して映画館をでていきます。
 最後の北部行きを終え、京都府委員会事務所にもどったのは夜9時前でした。今年最後の宿直当番。いろいろあった2013年から2014年、残っていた作業を片づけて、早く寝ようと思いましたが、いろいろ電話がはいってなかなか作業はできず。もう作業はやめて早く寝ようと割り切りましたが、横になった途端に、11時33分に1本、さらに12時22分にもう1本電話がはいってきました。
 今年もそして新年も、なかなか早く寝させてはもらえないようです。
 この人の発言をきいていると、この言葉がついつい浮かんできます。
 12/21に知事選挙への出馬表明をした山田京都府知事です。記者会見で、全国の知事で4期以上の知事は3人だけであり、「多選批判」について質問されると、得々と「全国の知事で年齢は30番目」と回答。おそらく側近に全国の知事の年齢を調べさせ、何番目かと数えたのでしょう。
 9月議会では、オスプレイの飛来が問題となった中、その反論として、京都府内の年間の交通事故・5ケタの数字をスラスラとあげてみせ、オスプレイだからといって問題ではないとの態度をとりました。
 12月議会では台風被害では、府の河川改良予算が減らされてきたことが問題になると、国の減りに比べて「減りは少ない」といいだしました。
  そして、知事選挙の出馬問題。12月府議会という公式の場、府民の前では、知事選挙の「知」の字も語らない。その裏で、ホテルの一室で自民党府連会長と密室協議をおこなっていました。そして出馬表明をおこなったら、ただちに自民党府連事務所にかけつけ、自民党の推薦証書をありがたくうけとる。
 こんな知事を、京都府民が、自分たちの知事として誇りに思えるでしょうか。
  出馬表明の際、山田知事は「混迷の時代」だと語ったと報じられています(「京都」12/21夕刊)。「混迷」しているのは、安倍暴走内閣に追随し、地方自治体としての、そしてその首長としての役割を放棄してきた、今の知事と府政です。
 そのことをご本人が気付かないなら、選挙での府民の一票で示すしかありません。
 「暗黒国家開いた扉」「民主主義が損なわれた日」「憲法を骨抜きにする暴挙」「戦後民主主義の本質と相いれない」―秘密保護法強行の翌日12/7付の各紙社説です。
 鳥越俊太郎さんは「京都」紙上で「平成ファシズムの足音を聞く思い」と述べられています。それぞれ秘密保護法強行―事柄の重大性を示しています。
 各政党への厳しい批判が出されていることも特徴です。「与党の強引な手法は日本の議会政治に深い傷痕」「異様な光景」「目をおおうような惨状」「公明党は・・・自民と強行採決を繰り返したことを恥じるべきだ」「日本維新の会やみんなの党に至っては・・・まるで与党の補完勢力と化した」「民主党も・・・対決姿勢は鮮明でなかった」―12/8付の各紙社説です。
 秘密保護法に反対する世論と運動は「空前」といわれる規模に広がりました。悪法推進の急先鋒だった自民党議員は「一日、千枚超の反対FAXや電話、電報」があったと自らのブログ(佐藤正久参院議員)でなげいています。
 秘密保護法強行の「あの日」―12月6日、強行の動きがいよいよ強まっている「その時」、府議会では各党の代表質問がおこなわれていました。
 わが耳を疑いました。「反対、賛成というのは慎重な議論の先にあるもの」と山田府知事は態度表明をさけました。では、まさに今「慎重な議論」もぬきに強行されようとしている動きに反対するのか、それも答弁をさけました。「情けない」というより、知事として、政治家としての資格が問われるものでしょう。
 「私は、まず、知事候補として秘密保護法にたいする考えを表明させていただきます」「国民の目と耳、口をふさぐ秘密保護法にはきっぱり反対です」。12月6日、7日、8日、寒風と小雨まじりの中、府内各地で街頭演説にたった尾崎望医師の訴えです。
 強行した与党は戦々恐々です。「選挙への影響を最小限に抑え(たい)」―自民党府連・幹事長の発言です。「強行採決とのイメージは、与党の中で果たすブレーキ役がかかっていないとも受けとられかねない」―公明党府本・幹事長の発言です。
 「京都では知事選が安倍政権に審判を下す場になる。自民、公明が現府政を支えていることを訴え、統一地方選挙では党の議席を大幅にのばす」ときっぱり。日本共産党京都府委員会・渡辺委員長の発言です。いずれも「京都」12/8付の報道です。
 悪政推進派に未来はありません。秘密保護法反対に示された国民、府民の民主主義、平和を求めるエネルギーは、必ずや、古い壁を打ち破り、新しい扉を開くことになるでしょう。悪政推進派の人たちの頭上に弔いの鐘がなっています。
 となりを歩いている60前後の女性2人が、そう声をかけあいながら行進しています。秘密保護法強行の動きが強まる中、12月4日、京都役所前から河原町通りを下るパレードです。参加者はどんどん膨らんでいきます。その女性はインターネットでみて、参加されたようです。
 秘密保護法強行は戦後の日本の民主主義を大きく突き崩すものです。同時に、民主主義の破壊を許さない、国民のなかの「民主主義」感覚、「人権」感覚をあらめて呼び起こしています。街頭での宣伝活動や署名活動に、「どうしたらいいのですか」「私に何ができるでしょうか」と声をかけてくる人たちがどこでも生まれています。
 「空前」―「しんぶん赤旗」は反対運動の広がりを、1面トップ、この見出しで紹介しました。ノーベル賞を受賞した益川さん、白川さんをはじめ、「学者の会」の反対声明への賛同は、わずかの期間に2000名を突破しました。
 「民意と民主主義の基本ルールを無視し、参院での採決強行に突き進む与党の態度は異様と言うほかはない・・・問題だらけの法案は廃案にするしかいない」「『良識の府』はどこにいってしまったのか・・・今国会での成立はあきらめるしかない・・・ここは廃案にし、国会の内外から指摘された問題点を十分に踏まえたうえで一から出直す」「これで成熟した民主主義国家と言えるのだろうか・・・これで採決は許されず」。いずれも12/5付各紙の社説です。順に「京都」「朝日」「毎日」です。
 瀬戸内寂聴さんや菅原文太さんのコメントは多くの人たちの心を揺るがしました。映画監督・山田洋次さんの「重苦しく暗い国でいいのか」「『この国をいったいどんな国にしたいのですか』と安倍さんに本気でうかがいたい」というコメント(「朝日」12/5付)も胸にズシリと響きます。
 他方、「自由と民主主義」を党名にかかげた党の劣化をすすめ、その有力な、あえていえば「良質」な支援者を相次いで離反させています。自ら一路、「墓穴」を掘り続けています。
 本日、明日も緊急の行動が全国、府内各地でとりくまれます。4日のデモ、終着点の四条河原町では、激励の拍手と唱和が大きく響きました。
 「あなたは明日どうする。私はもう1回来てみる」。最初に紹介した女性が友人に声をかけていました。
 峰山駅についたのは23時08分でした。今年の冬いちばんの寒さです。その日、夕方5時から京都弁護士会がよびかけた秘密保護法反対のパレードに、6時半からキャンパスプラザでの京丹後米軍基地反対の学習集会に参加。学習集会は途中で退席、京都駅から午後8時37分発の特急にかけこみました。
 丹後・与謝地方に出向くようになったのは、90年代後半、自治体対策を担当することになってからです。党勢拡大の運動でも各地域をずいぶん歩きました。この20年近くで数えてみれば、足をはこんだのは200回をうわまわります。
 車の場合、高速道ができるまではもっぱら、福知山市・大江から与謝野町・加悦にはいる与謝峠をこえてです。広がる加悦谷地方、遠くには岩滝・阿蘇海です。冬は加悦谷一体は雪におおわれます。雪の時期、与謝峠からの景色も、そして逆に加悦谷の中心に位置するワークパルから与謝峠を仰ぐ景色も絶品です。
 もう一つは電車で大江から上宮津に向かう普甲トンネルをぬけてのコースです。3千メートルをこえる長さです。天橋立の松並木が3600メートルですから、それにならぶ長さです。長いトンネルをぬけると、なだらかにひらける上宮津一帯です。気持ちがのびやかになります。
 「トンネルをぬけるとそこは美山」。美山にもよく出向きました。園部からトンネルを一つ、二つぬけるたびに雪が深くなります。町役場には十数回出向いたでしょうか。町長さんのご自宅にも2度ほどお邪魔しました。家のまわりは雪が3メートルほど積もっていました。いささか「ぶっきらぼう」な感じの方でしたが、ある宴席で議員や役所幹部に、まわりをはばからず「共産党の府の本部も熱心で、よく勉強している」と話されていたということを聞いてほっとしたものでした。
 「この町に愛着と精一杯生き抜こうとする町民の、行政のまた政治の何らかの手立てと援助を求めて賢明に努力をする以上、地方自治体はそして我々はその責務を放棄することは許されません」
 「どんなに厳しさや苦しみがあっても、決して我々は諦めることや負けることなく、この住民が存在する限り、しっかりと住民の生活を守っていく」
 これはその町長さんの議会での発言です。それぞれの地域に草の根の住民自治の気風が受け継がれています。住民と地方行政に真摯に向き合っている首長さんの姿に触れることもあります。
 「走りつつ、ふりかえりみれば、そこに道。思いはつきず、つぼみひらかむ」。ある首長さんに送った手紙の一節です。
 いささか「大袈裟」ですが、京都の風土、自然と文化を大切にすることを自負している私たちとして、是非紹介しておきたいと思った一冊があります。このコーナーが「丸・竹・夷」と名乗っているからこそ(*)、なおさらです。
 その本は、麻生圭子さんの『京都早起き案内』(PHP新書)です。「しんぶん赤旗」12月1日付の読書欄で紹介されています。麻生さん「定番」の町屋を背景にした和服姿でなく、シックな色合いにみえる洋装です。
 その本の全体を通して、60余りの京都の寺院、神社、地域が紹介されています。観光客のにぎあう時間帯でなく「早朝」というところがポイント。麻生さんならではのみずみずしい感性で綴られています。
 京都人にとってその一つ一つに身近な想い出が結びついています。それぞれの人にとって色とりどりです。
 私の場合です。
 一つ目に紹介されている北野天満宮。「天神さん」です。毎月25日の縁日、境内に露天商がならびます。北野天満宮に関わる「早起き」の想い出でいえば、縁日の翌朝です。露天商がならんでいた通路には、前日の混雑の中、釣り銭や小銭がおちているのです。それを探して拾って、ポケットにいれる、ポケットに入れるには至らず、賽銭箱にほりこむ。いまだから明かせる小学校時代の仲間内の「風習」でした。
 二つ目に紹介されている「平野神社」。その北側の道は、衣笠中学校への通学路でした。ところがです。この道はいつの頃からか、女性徒だけが通る道になっていました。さらに「ところが」です。この道の真ん中のところに、友人の男性の家がありました。朝の通学の際、その道を通って、その友人に声をかけるのにも「勇気」がいりました。
 麻生さんは1980年代、小泉今日子さんや徳永英明さん、吉川晃司さんなどのヒット曲の作詞をてがけた人です。その人が91年から作詞家からエッセイストに、そして96年から京都住まい。作詞家からエッセイストへの道にすすむ理由が「進行性の難聴」にあったとプロフィールにふれられています。
 読書欄の最後のところに紹介されていますが、「私は進行性難聴なのですが、聞こえないからこそ味わえることを大事にしています。目で補い、動くものや色、人が気づかないものを捉えて伝えていきたい」という、麻生さんの一言もたいへん新鮮です。

(*)「丸・竹・夷」のコーナーをもうけるにあたって(再録)―「『丸竹夷二押御池・・・』。昔から京都で親しまれてきたわらべ唄です。日本共産党京都府委員会の建物は、この唄の 出発点・丸太町通りに面しています。この地から発信する私たちのメッセージ。京の路地 裏にしみこんでいく〝わらべ唄〟のように、皆さんから親しまれることを願っています」
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