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丸・竹・夷

2014年1月アーカイブ

 「店を開けたのが去年の4月8日ですから、この4月で1年になります。なんとかもちそうです」。
 日本共産党京都府委員会の事務所近くの食堂です。夫婦ふたりでやりくりをされています。ご主人はいつも朝7時過ぎには店の前のそうじです。雨の日もです。そして夜8時すぎまでたちっぱなしです。最近でこそ、時々「休み」の日がありますが、半年ほどは文字通り「休みなし」の毎日でした。
 この食堂が借りているところはこの間、いくつかの店がはりつきましたが、ごく短い期間で閉店があいつぎました。それだけに「なんとかつぶれないでもってほしい」との思いがありました。毎日毎日、懸命にがんばっておられるご夫婦の姿をみているとなおさらです。
 身近なところでこんなことがありました。京都府委員会に勤務している人の体験です。実家は中小零細商店でした。一度倒産、その後、60年代の「高度成長期」には景気がよかったようですが、それも長続きせず、「資金繰り」におわれ、眠れぬ日々。そして、ある日、自ら、命をたつことになりました。
 その日早朝、電話が入りました。「病院に運ばれた」との一報でした。まだ、地下鉄開業の前で、京都駅からタクシーで病院に向かいました。そのタクシーは、ラジオをつけていました。流れていた番組では、火事や事故、救急車や消防車の出動状況なども伝えていました。タクシーが病院のご近くまできた時でした。ラジオから「○○病院に搬送された□□さんが、さきほど亡くなりました」。「こんなことがあるのか」と思いました。その商店はしばらくして2度目の倒産。
 いまの日本でこのような例は珍しい話ではないでしょう。最近の統計では、京都でここ数年減少していた自殺者がまたふえる傾向にあるとのことです。
 ・・・懸命にがんばっている人たちが、「贅沢」とまでいかなくても、せめてまともに暮らしていける。そんな社会こそ・・・。食堂のご夫婦と顔をあわせるたびにそう思います。
 1月18日におこなわれた「立命館土曜講座」。講師の山田京都府知事の講演と発言をきいて驚きました。
 山田知事は、「安倍暴走と一体」との知事批判の高まりが相当こたえているのか、自ら、いかに、はっきりものをいってきたのかをいくつかの事例を示して強調しました。
 その一つ、山田知事が内閣法制局当時、集団的自衛権行使にたいし、いかに厳しい態度をとってきたのか。「外務省とはトコトンやった」「行使反対の答弁をいつも書いた」「外務省からはクレームがつけられた」などなどの発言が続きました。
 「あれ」「あれ」「あれ」「本当かな」と調べてみました。「読売」がいまから17年前の1997年に「内閣法制局―実像と虚像」という大型連載を組んでいます。
 その第13回・8月17日付は「法制局は大変協力的で前向きだった」ではじまっています。続いて「6月8日に公表された日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見直しの中間とりまとめをめぐる内閣法制局の対応を振り返って、省庁側の担当者は異口同音に語る」とあります。そして「この調整の中から、新指針に盛り込む最も重要なキーワードの一つ『相互協力計画』が生まれた。新指針策定後に、朝鮮半島など日本辺有事を想定して、日米両国が作成する協力計画の名前だ」とあります。
 そのねらいは、「国会論戦を意識して、米軍との武力行使の一体化や集団的自衛権の行使を想起させる表現はさけたい」というところにありました。ようするに、事実上の集団的自衛権の行使になるが、表現上の工夫に、内閣法制局の担当者が知恵をだしてやったというものです。
 では「ここで問題です」。この時、担当していた内閣法制局の担当者はだれだったのか。上記「読売」は、2人の担当の参事官の名前をはっきり書いています。一人は厚生省出身の「本田一」氏、もう一人は、自治省出身の「山田啓二」氏です。この「山田啓二」氏、ほかならぬ、現在の京都府知事です。
 山田知事が、講演のように、過去の事実さえ偽って「集団自衛権行使に反対」だというなら、現在「安倍内閣がすすめている行使容認論に反対」だと、はっきりと声をあげてはどうでしょう。議会で追及されたら、「国政問題で私が発言をするのはいかがなものか」「慎重な議論を見守りたい」とでもいうのでしょうか。
 1月12日京都のまちを女子駅伝が駆け抜けました。「あの日」ー1986年1月19日もそうでした。京都府知事選挙の年でした。
 「危篤」の報で、家族・親戚・友人たちが病院にかけつけたのが1月17日。それから2日目、私たちは「なんとか大丈夫」と思いつつありました。
 病院の近くが駅伝のコースでした。時間の合間にみにいこうとしていた時でした。午後2時、まちなかの喧噪のなか、時間が止まったかのように、そして枯葉がなんの音もたてずに舞い落ちたように息をひきとられました。「立花昭さん」のことです。
 当時41才でした。20代で日本共産党京都府委員会の常任委員をつとめ、現在党書記局長・参議院議員の市田さんともども、すでに京都の党のなかで大きな役割をはたされていました。党内外での人望も抜群のものがありました。
 毎年1月、駅伝のシーンをみるとその日のことを思い出します。北海道・網走から出ての「立花さん」の最初の就職先が箱根の学生駅伝の中継でいつもでてくる有名な旅館だったことも記憶に影響しているのかもしれません。
 もう早いもので28年になります。妻の武子さんは、「昭さん」がなくなった1年後、亀岡市会議員選挙に立候補。告示日は命日の1月19日でした。その後、今日まで市会議員を務められています。
 昨年12月23日のことです。日本共産党の京都府党会議で、京都民報記者の立花亮(りょう)さんが発言しました。立花亮さんはいまや京都民報の中心的働き手です。
 「あきら」とパソコンでうつと「昭」も「亮」もでてきます。「立花昭さん」の長男です。「立花さん」がなくなった時、亮さんは小学校1年・6才でした。「立花さん」は京都民報の担当をされていたこともありました。「立花さん」がその場におられたら、どんな思いで「息子」の発言をきかれただろうか、と思います。
 「首相は日本を戦前の体制に戻そうしているのではないかという国民の懸念が強まっている」「その思想は改憲一本やりでであり、なりふり構わず日本を戦前の体制に戻そうとする執念をうかがわせる」「『この道はいつか来た道 ああそうだよ 地獄の花が咲いている』という日がそのうちに訪れるかもしれない。あちこちに屍がゴロゴロ転がっている道であろう」・・・哲学者・梅原猛さんの発言(「京都」1/5)が波紋を広げています。「地獄」「屍」という言葉、ここまでいわざるを得ない、梅原さんの思い、危機感が伝わってきます。
 「自民党は結党以来、憲法改正を言っている。あの当時はアメリカから押しつけられた憲法だという認識があった。このごろの変化をずっと見ていると、危なくて改正できない。改正すると危ない。自分は今や完全な護憲派。9条も」・・・野中広務氏の発言です。政治学者の御厨貴さんのコラム(「読売」1/9)で紹介されています。
 作家の池澤夏樹さんはズバリ「別の時代に入ったようにも思われる」「懸念は独裁と戦争」と断言、「(安倍自民党がめざす)行く先は危険な領域であり、舵の切り方は腕力主義、力づくというに近い。日本は戦争ができる国、戦争をしようとしている国に、まるで変身ロボのように形を変えつつある。プリウスが戦車になる」(「朝日」1/7夕刊)と訴えられています
 いずれも、安倍内閣の「危なっかしい道」への鋭く、厳しい警告です。安倍政権の暴走はいろいろな政治的、思想的な立場をこえて、日本の平和と民主主義を守ろうという人々の大きな批判をよびおこしています。
 日本共産党は「日本国民の理性と良識を総結集し、今年を『海外で戦争する国』づくりを許さない国民的共同を大きく発展させ、安倍政権の暴走を包囲していく年にしよう」(志位和夫委員長)とよびかけています。
 「育ちの良さもあってか、性格はとても穏やかでお優しく、20年も年下の私にも気さくに丁寧に接していただいた。(1日に弔問に行った際も)性格のままの、穏やかなお顔でした。その一方で、行政や権力に対して怖いもの知らずというか毅然とした態度を示す、仏教界の中でも数少ない方だった。古都税でも景観論争でも終始一貫して明確に反対の論陣を張り、多くの論者がいるなかでも格別の重みがありました」。
 天皇の叔父にあたる、青蓮院門跡名誉門主の東伏見さんの訃報に際しての、聖護院門跡の宮城門主のコメント(「毎日」1/3付)です。
 古都税紛争の際、私たちもずいぶん京都の寺院などを訪問させていただきました。残念ながら、東伏見さんとの面談の機会をもつことはできませんでしたが、多くの宗教者の方々の気骨ある態度に接することができました。
 京都府知事を7期28年務めた蜷川虎三さんと清水寺の大西良慶さんとの親交・信頼関係の源に古都税(最初は文化観光税という名称)に反対する運動がありました。大西良慶さんは、1956年の税・創設時、64年の延長時も一貫して反対の先頭にたたれました。文化観光税・古都税が法定外普通税として府を経由して大臣の許可がいることから、56年当時、蜷川知事は府への陳情に際して「寺の仏像そして伽藍、庭園、一木一草にふれるとき心の安らぎ、心のうるおいを感じる、そしてそこに信じる心をもつという信仰心の培養に課税するということはいけないことだ」との名せりふを発せられ、居並ぶ仏教界の重鎮をうならせたというエピソードがあります。
 以来、蜷川さんの選挙ポスターには大西良慶さんの名前がならび、応援演説にもたたれました。激しい選挙戦のなか、反共攻撃にたいし、大西良慶さんは「赤かろうが、白かろうが、いいものはいい。悪いものは悪い。赤いというのはおめでたい。赤ちゃん、赤飯みんな赤」と見事に喝破されました。
 因みに、京都府委員会が2004年に京都の党の歩みをまとめた『京都府党のあゆみ』という冊子の題字を揮毫していただいたのが、宮城さんです。そして、京都の地に日本共産党が誕生したのが1923年1月1日です。
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