「育ちの良さもあってか、性格はとても穏やかでお優しく、20年も年下の私にも気さくに丁寧に接していただいた。(1日に弔問に行った際も)性格のままの、穏やかなお顔でした。その一方で、行政や権力に対して怖いもの知らずというか毅然とした態度を示す、仏教界の中でも数少ない方だった。古都税でも景観論争でも終始一貫して明確に反対の論陣を張り、多くの論者がいるなかでも格別の重みがありました」。
天皇の叔父にあたる、青蓮院門跡名誉門主の東伏見さんの訃報に際しての、聖護院門跡の宮城門主のコメント(「毎日」1/3付)です。
古都税紛争の際、私たちもずいぶん京都の寺院などを訪問させていただきました。残念ながら、東伏見さんとの面談の機会をもつことはできませんでしたが、多くの宗教者の方々の気骨ある態度に接することができました。
京都府知事を7期28年務めた蜷川虎三さんと清水寺の大西良慶さんとの親交・信頼関係の源に古都税(最初は文化観光税という名称)に反対する運動がありました。大西良慶さんは、1956年の税・創設時、64年の延長時も一貫して反対の先頭にたたれました。文化観光税・古都税が法定外普通税として府を経由して大臣の許可がいることから、56年当時、蜷川知事は府への陳情に際して「寺の仏像そして伽藍、庭園、一木一草にふれるとき心の安らぎ、心のうるおいを感じる、そしてそこに信じる心をもつという信仰心の培養に課税するということはいけないことだ」との名せりふを発せられ、居並ぶ仏教界の重鎮をうならせたというエピソードがあります。
以来、蜷川さんの選挙ポスターには大西良慶さんの名前がならび、応援演説にもたたれました。激しい選挙戦のなか、反共攻撃にたいし、大西良慶さんは「赤かろうが、白かろうが、いいものはいい。悪いものは悪い。赤いというのはおめでたい。赤ちゃん、赤飯みんな赤」と見事に喝破されました。
因みに、京都府委員会が2004年に京都の党の歩みをまとめた『京都府党のあゆみ』という冊子の題字を揮毫していただいたのが、宮城さんです。そして、京都の地に日本共産党が誕生したのが1923年1月1日です。












