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活動と政策

2020.9.30 (水)

私と日本共産党(6) 京都府会議員・浜田よしゆき

切りひらかれた被災者への公的支援

戦争反対、苦難軽減に力尽くす立党の精神

    京都府会議員・浜田よしゆき

 11年前に87歳で亡くなった私の父は、先の戦争ではビルマ(今のミャンマー)戦線で足を負傷して帰還した傷痍軍人でした。その父が、私が子どもの頃、戦争のドラマを見たり、軍歌のレコードを聞きながら、「僕だけが生き残って帰ってきて、戦死した戦友たちに申し訳ない」と言って、泣いていました。私は、子ども心に、「戦争とはむごいものだ。戦死するのも悲しいが、生きて帰って来た者にもこんな思いをさせるのか。そんな戦争は二度とやってはならない」と思ったものでした。

しかし、中学校ではバレーボール、高校ではサッカーに明け暮れて、大学に入るまでは、政治にはまったく無関心でした。大学に入って、部落問題研究会に入り、戦前・戦後の歴史を学ぶ中で、あの戦争に命がけで反対した日本共産党の存在を知り、二度と戦争をしない平和な日本をめざして、大学1回生の秋に入党しました。

 私が衆議院京都6区の候補者として活動していた、1995年の1月17日、阪神・淡路大震災が起こり、私の神戸の実家も全壊評価を受ける被害にあいました。両親は、幸い無事で、近くの小学校でしばらく避難生活を送りました。当時は、震災などの自然災害への公的支援は何もなく、全国のみなさんから寄せられた義援金から、私の実家のように全壊評価の場合には30万円が支給されました。しかし、そんな金額では、住宅再建はとてもできませんから、多くの神戸市民がふるさとを出て行かざるをえませんでした。

 この大震災を契機に、「自然災害の被災者が住宅を再建するための公的支援がないのはおかしい」という世論が広がり、日本共産党のこくた恵二衆議院議員を先頭にした国会での粘り強い論戦もあって、住宅再建支援法が作られ、今では、まだ不十分ですが、最大300万円の支援金が支給されるところまできました。国民の苦難軽減のために力を尽くすという、日本共産党の立党の精神が発揮されたものとして、今でも深い確信にしています。

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