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活動と政策

2020.8.10 (月)

私と日本共産党(4) 舞鶴市会議員・小西洋一

戦争反対を命がけでつらぬいた党の一員として

      舞鶴市会議員 小西洋一

 私が日本共産党に入党したのは、大学の一回生19歳の時です。大学入学前に母親は「赤だけにはなるな!」と繰り返し私に言い聞かせて、私を大学へ送り出ました。自分の兄が勤務先の職場で日本共産党に入党し、自分の母親(私の祖母)が「息子を悪魔に奪われた」というほど、嘆き悲しんだことを思春期に経験していたからです。高校の時に親友の誘いで民青同盟に加盟し、科学的社会主義の思想をかじり始めていた私でしたが、日本共産党という政党に入党するなどは思ってもないことでした。

 当時、私は大学で社会福祉を学んでいました。大学1年生の「社会学」の講義で、あの太平洋戦争の時に、障害を持った人々が「戦争の役に立たない」ということで人間扱いされず、ひどい状況に置かれていた事実を知りました。しかし、一方で、「天皇が決めた聖戦」と言われたあの戦争に、小林多喜二や河合義虎など命をかけて反対した20歳そこそこの若者がいたこと、治安維持法による逮捕や虐殺、人間のすることとは思えないひどい拷問を受けても「戦争反対」という自分の信念を死んでも曲げることのなかった数百名の多くの若者の犠牲の上に、今日の平和があること、そして、それが戦前の絶対主義的な天皇制のもとでの非合法の日本共産党の闘いであることを知りました。「この党なら間違いない」と思い、日本共産党への入党を決意しました。

 大学を卒業し小学校の教員になりました。組合への加入を勧められたときに教職員組合のスローガン「教え子を再び戦場に送らない」を知りました。戦前、ほとんどの教師が心ならず多くの教え子を戦場に送り出し、そのほとんどが還らぬ命となったこと。戦後、その悔やんでも悔やみきれない思いでこのスローガンのもとに教職員組合を結成したことを知り、組合員となりました。それ以来、働く人が主人公の職場、子どもを大切にした教育、市民が主人公のまちづくりを目指して、幅広いみなさんと協力して頑張ってきました。安倍内閣による「集団的自衛権行使」の閣議決定、「戦争法」の強行など絶対に許せません。安倍政権の憲法9条改悪への執念に負けるわけにはいきません。

 世界の宝である「憲法9条はなんとしても守り発展させなければ」という思いで、党議員として全力を尽くす決意です

 

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