JCP京都

2006年09月28日掲載

八瀬の「矢負坂地蔵」

 八瀬は高野川の上流域にひらけた山間盆地で、大原とともに風光明媚の地として知られている。矢負坂というのは、有名な八瀬の「かま風呂」の東、八瀬天満宮の石鳥居前に面したゆるやかな坂道を称したもの。

安置されている小堂と石仏たち 八瀬天満宮の石鳥居 八瀬天満宮

 地蔵像はこの石鳥居の南側にあって、吹きっ放しの小堂内に安置されている。石仏の高さは約1.5メートル。表面は非常に美しく地蔵石仏としては立派なものである。堂前には付近から出土したと思われる多数の小石仏や、「弁慶背競石」と称する自然石が立ち並んでいる。

 八瀬の由来には二つの説がある。盆地を流れる高野川に多くの瀬があるところから「八瀬」と名がついた説。もう一つは、そのむかし著名な武将がこの地で、敵勢の流れ矢を背中に受けて負傷したことから、古くは「矢背」と称してきたという説。

 後者の説には続きがある。ときに村人たちが「かま風呂」を奉り傷の手当てをした。この「かま風呂」は、その後この地の名物となり、湯冶用として大いに発展し、盛んなる時は16軒を数えた。個人的には後者の説に関心が寄せられる。(司)