JCP京都
たにぐち ぜんたろう

谷口善太郎〈墓〉(1899〜1974)

所在他=京都市東山区円山まるやま公園音楽堂南側東ヘ
大谷祖廟内 東大谷墓地

 色紙などをたのまれると、近ごろはよく「不封己」と書いている。杜甫の「チシャを植える」のなかの「道を守っておのれあつうせず」の一句だが、共産主義者たるもの利己心があってはならない、という意味だ。もちろん杜甫は共産主義者ではなかったから、かれのいう「道」は別のことだが、「己を封うせず」という精神はわれわれと共通のものでしょう。(1969年12月7日『赤旗日曜版』)

※碑の「守道不封己」は、谷善の自筆

 かつて蜷川虎三は「京のまち京のひと谷善の顔がある」と詠んだ。

 石川県の貧農の家に生まれ、9才で製陶所に弟子入りするが倒産、東京で夜学に通う。

 21年、弁護士を志し京都へ出て清水焼工場で働くが、貯金を恐慌で失い衝撃を受ける。

 23年、京都の共産党結成に参加。山宣と労働学校を創設。三・一五事件で逮捕されたが獄中で喀血、自宅軟禁中、隠れて執筆。37年再び逮捕され拷問で廃人同様となり出所。

 44年、府下胡麻郷村開拓に入植。45年、京都で党再建、49年、総選挙で初当選、50年の公職追放で議席を奪われたが、その後次点をくり返しつつ60年に議席を奪還、72年には京都一区でトップ当選、全国初の複数議席を実現。衆議院議員団長など務める。

 著作に『日本労働組合評議会史』『綿』他。74年6月8日、現職中に永眠。享年74才。

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