1989年、京都市長選挙の年。消費税導入をめぐって「列島騒然」。それは知事選や市長選にもあらわれました。京都市長選挙を前に、その年前半の千葉県知事選、名古屋市長選での革新候補の大量得票、大善戦は大きな衝撃をあたえました。
名古屋市長選挙の翌日の夕方、木村万平さん宅にお電話をしました。選挙の結果と特徴などをお知らせしようと思ったからです。京都市長選に臨まれる木村万平さんを激励したいとの思いもいささかありました。
「私は勝ちます」。その時返ってきた言葉です。2度繰り返され、2度目は「必ず勝ちます」と強調されました。返す言葉はなく、沈黙の数秒間でした。
「信念の人」、さらにいえば「執念の人」といってもいいでしょう。木村万平さんの「執念」は、その後の中国・天安門事件のあとの政治的雰囲気の変化のなかでも微動だにしませんでした。木村万平さんの「執念」が世論を動かしたのか、選挙戦の終盤、朝日新聞は世論調査結果をふまえて「木村優勢」と報じるまでになりました。
故・寿岳章子さんが紹介されていたように「命をかけて立ち上がった」という言葉は、木村万平さんにとっては決して誇張ではありませんでした。
ある日、木村万平さんとご自宅でお話をしていた時、それまでの話の脈略とはまったく無関係に、零された一言があります。
「私は、(支援者から)『がんばってくれ』と言われるのが嫌なんです」。選挙戦に全力を傾注されていた木村万平さんにとっては、「これ以上、どうがんばれというのか」という率直な思いがあったとのことです。そして、「『いっしょにがんばりましょう』ならいいんですが」とも付け加えられました。「市井の人」であるとともに「希有の人」でした。












