「あらためて私は木村万平論を試みたい。選挙にもいろいろあるとしみじみ思う。いわゆる『候補』とはまるで違う人だった。率直に言って無名の、ふつうの人だった。もちろん、木村万平さんが百足屋町でいかなるたたかいをしておられたかを仔細に知っていたら早くそのことはわかっていたろうが、私には数ある山鉾町の一つを守るためにあれこれがんばった人、という程度の認識しかなかった。
とにかく木村さんにきまって、我々は出発したが、一旦会ってみればたちどころに何とすばらしい候補と思わずにはおられなかった。木村さんは長い間中学校教員だった。そして山鉾町に住んでいた。この2つの条件が木村候補の骨格である。町こわしと、京都の教育の堕落。そこから出発した木村万平さんはただちにその他もろもろの京都が直面するさまざまの深刻な状況をすべて理解した。すべての京都の問題、ひとりひとりが抱える厄介な、悲しい、腹のたつことの数々に木村さんは心を通わすことができた。
あとで聞けば、何と木村さんは市長候補を決める会の発足当初に自分のところに指名がくるだろうと予測しておられたと言う。そして、その時には命をかけて立ち上がり、たたかい、勝利して、市長になって、この京都を、地域住民とともに守ろうと決意なさったという。その話をしながら、木村万平さんは少うし笑みを浮かべつつ、ややさびしげに『私はやっぱり戦中派なんですねえ』としめくくられた。
結局木村万平候補のみごとな、果敢な行動は、大正二ケタ世代、あの悪しき時代に生き残られ、ある決意をもっておのが人生を生きてこられたことからすべて発しているのだ。すがすがしい謙虚さと同時に存する強い自信、慎重でありながらきわめて大胆な将来の設計能力。すべて日本のあの時代が生んだひとりの人間が、そして同時にたぐい稀な資質をもって作られた歴史こそ1989年京都市長選であった。
そして私たちも木村さんとともに動いた。『こんな人はじめて』という感動の声を何とたびたび我々は聞いたことだろう。それは言ってみれば『志』の選挙だった。木村さんが後に敗因を分析して語られた相手側の『利権集団の気迫』に対する『志』。なるほど一旦負けはしたものの、我々には決して地に伏して涙しているだけに終わらない。『志』は永遠に人を動かし続ける」。
京都の町が祇園祭り・宵山ににぎわっているなか、木村万平さんが亡くなったという報がはいってきました。1924年3月9日生まれ、90才でした。
89年京都市長選挙、90年、94年京都府知事選挙で候補者として大奮闘された。とりわけ、89年京都市長選挙での321票差の大接戦は、大激戦の京都市長選挙のなかでも特筆すべきものでした。
この報にふれた時、頭をよぎったのが引用させてもらった文章です。国語学者の故・寿岳章子さんが、1989年京都市長選挙の記録集によせられたものです。
※木村万平さんとは、忘れることのできない、いくつかのエピソードがあります。あらためてこのコーナーでお伝えしたいと思います。
とにかく木村さんにきまって、我々は出発したが、一旦会ってみればたちどころに何とすばらしい候補と思わずにはおられなかった。木村さんは長い間中学校教員だった。そして山鉾町に住んでいた。この2つの条件が木村候補の骨格である。町こわしと、京都の教育の堕落。そこから出発した木村万平さんはただちにその他もろもろの京都が直面するさまざまの深刻な状況をすべて理解した。すべての京都の問題、ひとりひとりが抱える厄介な、悲しい、腹のたつことの数々に木村さんは心を通わすことができた。
あとで聞けば、何と木村さんは市長候補を決める会の発足当初に自分のところに指名がくるだろうと予測しておられたと言う。そして、その時には命をかけて立ち上がり、たたかい、勝利して、市長になって、この京都を、地域住民とともに守ろうと決意なさったという。その話をしながら、木村万平さんは少うし笑みを浮かべつつ、ややさびしげに『私はやっぱり戦中派なんですねえ』としめくくられた。
結局木村万平候補のみごとな、果敢な行動は、大正二ケタ世代、あの悪しき時代に生き残られ、ある決意をもっておのが人生を生きてこられたことからすべて発しているのだ。すがすがしい謙虚さと同時に存する強い自信、慎重でありながらきわめて大胆な将来の設計能力。すべて日本のあの時代が生んだひとりの人間が、そして同時にたぐい稀な資質をもって作られた歴史こそ1989年京都市長選であった。
そして私たちも木村さんとともに動いた。『こんな人はじめて』という感動の声を何とたびたび我々は聞いたことだろう。それは言ってみれば『志』の選挙だった。木村さんが後に敗因を分析して語られた相手側の『利権集団の気迫』に対する『志』。なるほど一旦負けはしたものの、我々には決して地に伏して涙しているだけに終わらない。『志』は永遠に人を動かし続ける」。
京都の町が祇園祭り・宵山ににぎわっているなか、木村万平さんが亡くなったという報がはいってきました。1924年3月9日生まれ、90才でした。
89年京都市長選挙、90年、94年京都府知事選挙で候補者として大奮闘された。とりわけ、89年京都市長選挙での321票差の大接戦は、大激戦の京都市長選挙のなかでも特筆すべきものでした。
この報にふれた時、頭をよぎったのが引用させてもらった文章です。国語学者の故・寿岳章子さんが、1989年京都市長選挙の記録集によせられたものです。
※木村万平さんとは、忘れることのできない、いくつかのエピソードがあります。あらためてこのコーナーでお伝えしたいと思います。












