ある大手新聞の本社記者と2時間余り話をする機会がありました。そのなかででてきた言葉です。
大飯原発3号機、4号機の運転差し止めを求めた福井地裁判決に大きな共感が広がっています。
「再稼働の差し止め」という結論とともに、憲法で保障された人格権―「人の命」をなによりも大事にするという立場、原発の他とは異なる異質の「本質的な危険性」への警告、そして地震大国・日本のもとでの「安全神話」を断罪・・・いずれをとっても本質的で真摯な論及と判断は、「なるほど」と思わせる説得力があります。
マスコミ各紙が「当然の感覚映した判決」(「京都」)、「判決は前のめりな安倍政権の方針への重い警告」「なし崩し再稼働に警告」(「毎日」)、「事故を機に、法の番人としての原点に立ち返ったと言えよう」(「朝日」)と判決を評価する社説を掲げたのも当然です。
ところがです。「読売」「産経」は、「不合理な推論が導く否定判決」「非科学的、非現実的判決だ」と、口汚く、「罵倒」といってもいいような社説をかかげました。その社説の中身たるや、判決をまともに読んだのかと、思わせるような「不合理」「非科学的」「非現実的」な決めつけに終始しています。
はじめに紹介した記者は、この社説をだした社の人です。「原発に批判的な記事は書いてもとおらない」と言います。そして、最近では社の論説も「最初から結論ありき」で「とても読む気がしない」とも言います。「このような社に未来があるのか」と頭によぎりましたが、目の前の記者にそこまではいいませんでした。












