「現在は使われなくなった言葉」を「死語」といいます。時代の変遷と時の流れのなかで「使われなくなった」言葉とともに、社会、そして民主主義、人権の発展のなかで「使うべきでない」言葉として「使われなくなった」言葉もあります。
いま、問題としたいのは後者です。「思想犯」という言葉があります。ある特定の思想をもつこと自体を「犯罪」とみなし、処罰するというものです。これが、民主主義、思想・信条の自由の立場と180度異なることは、誰がみても明らかです。この言葉をきいて、戦前の治安維持法を想起するという人もおそらく少なくないでしょう。現行憲法のもとで「死語」になっていくべき性格をもった言葉であり、戦後68年、実際そうなってきていました。
民主党から維新の会に鞍替えした豊田貴志府議が府議会の委員会の席上で、「君が代」問題をめぐって、その強制に反対する教員について「思想犯」だと非難をしました。
ここには、教員の思想・信条の自由を侵す問題とともに、特定の思想をもつこと自体を「思想犯」として犯罪扱いすることについて豊田府議がどう考えているのか、ということが問われています。
単なる「言葉尻」の問題ではないのです。発言の流れをみる限り、肯定的、その立場からの発言です。驚くべき時代錯誤の発言というべきものでしょう。
驚くべきはそれだけではありませんでした。この発言が委員会で問題となり、その扱いはどうなるのか、注目をしていました。「発言は取り消しになるのでは」とも見通しもありました。しかし、日本共産党を除く各党がこの発言を容認、問題発言はそのままとなりました。
京都維新の会は2015年のいっせい地方選挙にむけて、京都府会議員選挙、京都市会議員選挙の全区に立候補する方針を発表しています。
「『思想犯』というような言葉を吐く人物が、公職にあることを、私たちは世界の民主主義世論に対して恥ずかしく思わざるをえません」。同志社大学名誉教授の望田幸男さんが「京都民報」に寄せられたコメントの一部です。ほんとうにそう思います。「死語」を蘇らせてはなりません。












