その記者が「新人」といわれた頃の話です。赴任地は、被ばく地・広島でした。被ばく者の方への取材もずいぶんありました。
ある時、取材先は被ばくした94才、被ばくから60年の女性でした。その女性は原爆で当時12才の長女を亡くしています。長女は「お母ちゃん、お父ちゃん、さようなら」と言って亡くなったとのことです。
女性からは「あきらめるしかなかったの」との言葉の繰り返しでした。取材中、その女性は一瞬、空を見上げて「あの子が最後に生きることをあきらめてくれてホッとしたの。だって、どうしてやることも出来なかった」とつぶやき、一筋の涙を流しました。
記者は「涙をみた瞬間、何も言えなくなった」「顔を向けることができなかった」「ひざの上に置いた真っ白な取材用ノートを見つめるだけ」だった―2005年の記事にそう書かれています。
「ヒロシマ」、その実相は語り継がれなければならない。そう思います。
1978年、20才のキャロライン・ケネディさんが広島を訪問しています。新しく日本大使になったケネディさんです。彼女の日本に対する「親近感」のいくつかの要因のなかで「広島体験が大きかったのでは」(「毎日」11/22付。西川恵専門編集委員)との見方が新聞報道にもみられます。その時には原爆資料館と平和記念資料館の訪問だったようですが、今回、ケネディさんが再度広島を訪問するなら、被ばくと被ばく者の生の実態と声にふれてもらいたいと思います。
日本共産党は、アメリカの基本路線である軍事的覇権主義にいささかの甘い見方ももっていません。同時に、東南アジアや中南米をはじめ、「国連憲章にもとづく平和の国際秩序」「紛争の平和解決」を求める動きの広がりのなかで、アメリカ自身が「外交交渉による解決」を一つの現実的選択肢とする動きも生まれています。安倍内閣の侵略戦争を肯定する歴史観にたいし、彼らが最大のよりどころとしているアメリカからも批判が起き、アメリカのアジア戦略とも軋轢を生むようにもなってきています。重要な注目すべき動きです。
「ヒロシマ」とその実相は「核兵器のない世界」へ、消えることのない、そして消してはならない「松明」のように思います。キャロライン・ケネディさんが「ヒロシマ」にどう向き合うのか、注目したいと思います。












