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丸・竹・夷

(528)「10月17日」に想う

 夜になって嬉しいニュースがはいってきました。京都北部の地区委員会で18才の入党者がありました。その青年が知人から聞いた話として「今日は宮本顕治さんの誕生日なんですね」と話していたとのことです。
 宮本顕治さんというのは、日本共産党の今日の路線を築く中心的役割をはたし、長く、党書記長、委員長、議長をつとめてきた党幹部です。亡くなってから6年がたちます。
 日本共産党は「個人崇拝」とは無縁です。どこかの国のように「生誕◯◯周年」を国をあげて、また党をあげておこなうようなことは一切ありません。日本共産党の大半の党員は志位委員長や市田書記局長、そして、不破前議長の誕生日を知らないと思います。
 私が宮本元議長の誕生日を知ったのは、次の事実―戦前の暗黒時代に、宮本さんの妻であり、作家であった中條百合子さんが、夫が獄中にあったなかで、作家としての筆名を「中條百合子」から「宮本百合子」にあらためたのが、1937年の顕治さんの誕生日―10月17日だったという事実にふれた時です。
 宮本顕治さんがスパイの手引きで検挙されたのが、1933年12月26日。翌年1934年1月には百合子さんも逮捕されています。そのようななか、百合子さんは1934年12月に入籍の届けをしています。「弾圧の嵐が吹きすさぶなかで、あえて法律的にも『宮本』と名乗ることで、顕治と一心同体の活動を続ける姿勢を明瞭にした」(小林栄三著『不屈の知性』)のだと思います。
 筆名を「宮本」と改めたのは、それから3年後、弾圧の嵐がいっそう激しく、荒れ狂っている時です。そしてその日が10月17日。
 18才の入党者の一言が、あらためて歴史の感動的な一コマを蘇らせてくれました。
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