渡部桂舟(本名・利喜治)さんは、1901年福島県・西会津で生まれた。僧侶を志し、旧制中学を中退し駒沢大学へ。学生運動を通じて当時非合法であった日本共産党に1929年頃入党。その後、京都府の北端の地・丹後半島の中心に位置する野間村の洞養寺住職となる。戦後の農地改革では、自ら寺所有の田地をすべて小作人に開放し、アカ坊主攻撃と集団離壇攻撃にも屈せず信念を貫く。公選制であった野間村教育委員選挙に立候補当選、教育委員長をつとめる。合併された弥栄町の日本共産党町議を2期。高度経済成長のもとで見捨てられる過疎の村を守るたたかい、学校統廃合反対のたたかいなど党の旗をたかく掲げて奮闘した。
私は、高校卒業までをこの和尚の住む村で育った。洞養寺が保育所であり、農繁期などは遊び場だった。和尚の説教は、足がしびれたこととともに、「人は皆平等」「戦争は絶対許すな」「憲法を生かせ」など子ども心に響いたのだろうか今でも何故か心に残っている。
「坊さんが動き出したでぇ。選挙だなぁ。」――これが部落の大人たちの合言葉のように記憶している。点在する部落の一軒一軒を、離村していった壇家の一人ひとりを、山を超え、谷を超え訪ね歩き党への支持を広げる。「和尚が昨日帰ってこんならんかったらしいでぇ。」「雪で道に迷って谷で一晩明かしたらしいでぇ。和尚には勝てんわなぁ~わな。」こんな大人たちのやりとりをうっすらと覚えている。村の人たちは、和尚のことを「アカ坊主」といいながらも尊敬の念を込めて「仏のような人」と誰でも口にしていた。
こうして部落の人たちと「溶け込み結びつき」党への支持をこつこつと広げる渡部和尚をはじめとした先輩たちの活動によって、68年参院選での河田賢治、69年衆院選京都2区での寺前巌の勝利が切り開かれた。和尚の活動は丹後の党の誇りとなっている。
今、経ヶ岬への米軍基地の設置の動きをはじめ、「アベノミクス」の暴走、無謀な原発やTPP推進、憲法改定の策動、侵略戦争の美化など安倍政権の暴走と正面から対決する党は日本共産党しかない。
参院選で日本共産党比例5議席の獲得と合わせ、和尚と同じ西会津出身の倉林明子勝利へ、和尚の活動に学び奮闘しなければならない。(TK)












