• 活動
  • 政策・提言・見解
  • 集会・行事
  • 議員と事務所
  • 入党・購読
  • お問合せ
丸・竹・夷

(504)倉岡愛穂(くらおかよしお)をご存知ですか?

 戦前、天皇制政府は「国定教科書」から少しでもはみだす教育はいっさい許さず、民主的な教育者にはげしい弾圧を加えました。
 1937(昭和12)年、警察によって虐殺された倉岡愛穂さんはその犠牲者の一人です。弾圧はすさまじく、遺族には、医者に見せるな、葬式を出すな、死亡通知をだすなとまで言い渡します。
 倉岡さんは、1895(明治28)年2月、京丹後市宇川の農家で生まれ、京都師範学校を卒業し、郷里の小学校に勤務、小学校校長をへて、神戸の御蔵小学校へ転任。
 河上肇の「貧乏物語」の影響を受け、若い教師たちと学習サークルをつくり、子どもたちを戦争に駆り立てるよりもよく考える子どもを育てていこうと話し合い、32年5月には新興教育研究所兵庫支局を結成、その中心になります。

 同サークル員の一人は、先生の「授業はすばらしく円熟していて、校長が出題する一斉学力テストは各課いつも一番の成績であった。綴り方の文集を作ると、子どもたちは生活を生き生きと書いた」ことなどの思い出を書いています。
 悪法=治安維持法下の暗黒政治は、こんな先生の存在すら許さなかったのです。

 京丹後市在住の長寿世界一、木村次郎衛門さんは、隣の集落出身で、倉岡さんが二級上。「いっしょに小学校に通った」なかでした。交流は倉岡さんが京都師範学校をでて、教師になり、木村さんが郵便局につとめるようになってからも続きました。「毎晩に近いほど宿直室によって話しをしました」という木村さん。警察が封印した倉岡さんの死も知っていました。「あんな男が教育界におってくれたら、もっと社会のために役立つ男であったと思います。戦争はもう、絶対あかんものです。だからいま、大いにその足跡を宣伝していただきたいと思います」と語りました(「しんぶん赤旗」2009年12月24日付)。
 
 京丹後市宇川。5年前から4月9日の命日に墓前祭がおこなわれています。日米両政府は、にわかに同地域に米軍レーダー基地をおしつけようとしています。「平和のためにたたかった倉岡さんの故郷に核戦争のための基地は作らせない」。関係者の強い思いです。(TH)
  • 「戦争法」廃止を求める
  • ブラックバイトに要注意!働き方アンケート実施中!
  • 新事務所建設募金のお願い
  • 2015いっせい地方選挙
  • 2014総選挙特集