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京都府委員会の紹介

3.共同ひろげ、党の値打ち語り、躍進きりひらく

小選挙区・京都3区で寺前当選。党躍進きりひらく


小選挙区で風穴をあけた寺前当選

 1996年1月、村山首相が政権を投げ出し、橋本内閣が誕生しました。その直後にたたかわれた京都市長選挙で民主市政の会・井上吉郎候補が4,092票差にせまる大善戦でした。96年、小選挙区制が導入された最初の総選挙は住専(住宅金融専門会社)への税金投入、消費税の3%から5%への引き上げなどが争点として大きく浮上しました。

 党は、小選挙区制が導入された総選挙のたたかいについて「どんな悪法も党と有権者のむすびつきに枠をかけることはできない」「党と有権者との結びつきを広げ、固める」(第19回党大会・第11回中央委員会総会)ことの重要性を強調しました。

 選挙結果は、自民党が大幅に減票、新進党が4議席減、96年1月に社会党から党名変更した社民党が激減、9月に結党した民主党は改選前と同議席にとどまるなか、日本共産党は15議席から26議席に前進、得票を483万票から726万票へと大きく躍進させました。

 京都でも比例・選挙区票とも史上最高票を獲得、京都3区で寺前巌候補が当選、高知1区とともに、小選挙区で風穴をあける快挙でした。1区で2,653票差、2区849票差とあと1歩でした。比例票では京都市と向日市で第一党を実現しました(京都市内で北区、中京区、南区、左京区、右京区の5行政区で第一党)。京都で自民党を追い抜き、第一党実現の展望をきりひらく結果をつくりだしました。

98年参院選挙で第一党実現、自民党、選挙区議席をはじめて失う


「自共対決」に勝利した西山参院議員。
比例代表選挙では第一党を実現

 1997年9月に開かれた日本共産党第21回党大会は、21世紀の早い時期に民主連合政府を実現する方針をうちだしました。98年参議院選挙では、比例代表選挙で820万票を得票し、非改選の8議席とあわせ、史上最高の23議席を獲得しました。

 京都では、98年4月の府知事選挙で、府民との共同を広げ、民主府政の会・森川明候補が民主府政落城後最高の得票率41.4%を獲得。同年7月の参議院選では比例代表で都道府県単位ではじめて「第一党」を実現、選挙区・西山とき子は38万票を獲得し、再選を果しました。この得票は各種選挙での日本共産党の最高の得票でした。一方、自民党は参議院選挙史上はじめて京都選挙区での議席を失いました。

 党は府内各地での150回をこえるシンポジウムをはじめ、経済界や保守層にも広くはたらきかけをおこない、自民党支持基盤の歴史的崩れのなかで大きな共感を広げました。

 このたたかいの中で「かえるネット」(「日本共産党といっしょに日本をかえるネットワーク」)が生まれ、街頭アンケートやシール投票、メールの活用など青年の創意を生かした参加型の活動がすすみ、この取り組みは全国に広がりました。

激動の時代を映した珠玉の言葉


「京都民報」

 90年代後半の党躍進の流れのなか、「京都民報」の95年新年号から各分野・各界の識者を対象にした「ビッグインタビュー」が始まりました。98年8月に100回、2000年8月に150回、2002年8月に200回と回を重ねてきました。テーマは政治、社会、経済、自然や文化など多岐にわたり、時代を映した珠玉の言葉、理性と良識の声が毎号の紙面をかざりました。京都への熱い思いも共通したものでした。また、多くの、幅広い人たちから党への期待と注目の声が寄せられました。

2005年6月21日掲載
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