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丸・竹・夷

2014年2月アーカイブ

 京都では、府知事選挙とあわせて、府会補欠選挙が3つの選挙区でおこなわれます。そこで大きな話題になっているのが、民主党の候補者擁立問題です。
 すでに、京都市北区と城陽市の2つの選挙区では不出馬・不戦敗が事実上確定。焦点となっているのは、宇治・久世選挙区です。
 なぜ、問題になっているのか。それは、宇治・久世選挙区は、民主党の現職が、宇治市長選に出馬・当選したことにともなう補欠選挙だからです。出して当然の選挙区。しかも、この選挙区は、山井和則衆院議員・前京都府連会長の地元で民主党の党勢の大きなところです。
 候補者擁立に難航、2月11日におこなわれた民主党府連大会では、「なぜ立てないのか」と紛糾しました。直前の南丹市議選で公認の現職が落選しているからなおさらです。
 また、最近の報道(「朝日」2/27付)では、前原誠司衆院議員が1月18日におこなわれた京都府連の常任幹事会で「無理に立てなくてもいいんじゃないか」と発言したと報じられています。
 この報道ではさらに「民主が強い宇治で擁立できないとなれば、統一選の他の選挙区での擁立が危うくなる」との幹部の懸念の声も紹介しています。
 最終的にどうなるか、断定できませんが、「自共対決」の政治構図が本格化するなかでの、民主党の凋落を象徴的に示す出来事です。この話にはさらに「落ち」があります。候補者擁立に難航していることを問われたある民主党議員。あえてその人の「名誉」のために、名前はさけますが、返ってきた言葉は冒頭に示した「いま、民主党の名前で誰がでてくれますか」の一言でした。
 「何ともはや」「とほほ」ですが、同時にきわめて「的を射た回答」のようにも思います。
 自民党の元幹事長であり、官房長官を務めたこともある野中広務さん。京都での数々の激戦の「司令塔」でした。
 現在、党中央委員会副委員長の市田忠義さん、党建設委員会責任者の中井作太郎さん、選対局長の水谷定男さん、京都出身のこれらの人たちが京都でのたたかいの現場で、野中さんの「選挙指導」「選挙作戦」に「地団駄」を踏んだことが何度あったことでしょう。
 のちに、野中さんが、私たち・日本共産党について「25才で郷里の町会議員になり、衆院議員引退までの52年の政治生活を通じて『宿敵』だった」(「しんぶん赤旗」2009年6月27日付)といわれたのも、立場は違いますが、私たちもまったく同感です。
 この野中さんと、新しい参議院議員となった倉林明子さんが討論をする、それも「対決」ではなく、今日の日本政治の危うさをともに憂う、という討論ですから、二重、三重に「隔世の感」です。
 2月19日に開かれた参議院の「国の統治機構に関する調査会」です。倉林さんはこの調査会の理事。この日の調査会の参考人が野中さんでした。野中さんはこの日の発言のなかで、安倍政権がすすめる国会運営と集団的自衛権行使への動きについて「相当危険な状態だ」と述べ、「前途を誤らないか」と強い危惧の念を表明されました。一部は倉林さんの質問への野中さんの発言です。
 この日に向かう倉林さん、調査会が終わってからの倉林さん。どちらも従来と「趣」はずいぶん違っていました。
 倉林さんの京都市会議員の時代もふくめて、これまでの質問の多くは「火を噴く」という言葉に示されるような、国民・府民の怒りを背景にした「追及」でした。
 質問の前日の倉林さん。質問の組み立てを色々考えながら、落ち着いた結論は「明日は、野中さんにどう自らの思いを語ってもらうかやなあ」でした。
 調査会が終わって野中さんのところに歩み寄る議員のなかに倉林さんの姿もありました。その日、風邪気味だった野中さん。歩み寄った倉林さん。手には「あめ玉」。野中さんにかけた言葉は「お風邪の具合はどうですか」でした。
 法政大学の田中優子さんに続き、京都精華大学の学長に竹宮恵子さんが就任されます。女性学長誕生の話題が続きます。
 この1~2週間、日本だけでなく、世界の話題を席巻した小保方晴子さんによる「STAP細胞」の発表。ここまでくると、よほどの「無知」と「差別意識」にもとづく「勇気」あるひと以外、「女に何ができるか」などとはとてもとてもいいだせないでしょう。
 いまから20年前、1994年のことです。京都北部・野田川町の町長選挙にはじめて出馬した太田貴美さんによせられたのは「女に何ができるか」「どうせ女だから」という中傷と「ばかたれ」という罵声でした。
 太田さんは当時のことをふりかえって「相手陣営の激しい中傷が、これまでの選挙では表にでることのなかった女性たちの怒りを呼び起こしました」「『女に何ができる』と罵られたひと言が、野田川町の女性の心に火をつけたのです」と語られています。選挙戦は大激戦のなか、118票差で太田さんの初当選、京都初の女性町長の誕生になりました。
 「かなり革命的だったわけですね」。太田さんと対談した京都大学大学院教授の岡田知弘さんの感想です。
 それからの20年、太田さんの歩み、野田川町、与謝野町を通じての太田町政の足跡は、その一つ一つが「女に何ができるか」への明確な、事実にもとづく「反論」だったとも言えるでしょう。いま、与謝野町の福祉重視の地域循環型地域社会づくりは大きな注目を集め、太田さんは新たな意欲をもって町政執行への決意を表明されています。
 「『女性初』はなくならないが、記事は小さくなった。初の人も、初じゃない人も、毎日毎日頑張ってるよね・・・などと考えたら、涙腺がウルウルしてきた。肩が凝ったり、涙もろくなったりで、気がつけば定年まであと10年と少し。唐突に、ご同輩のみなさんにエールを送りたい気分になった」。これは「読売」2月7日付の、「女性初」とのコラム欄での大阪本社社会部次長の森川暁子さんの一言です。このコラムには、太田さんのことはでていませんが、一度、太田さんへの取材をされたらどうでしょう。もし、お時間がなければ、太田町長と岡田教授共著の『お母さん町長奮闘記』を一読されることをおすすめします。
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