JCP京都

文化のページ

06年3月 8日(水)掲載

麻生大臣の不明とトマス・マンコラム

加納たけし

 「高野山は帝城を去って二百里、京里を離れて無人、晴嵐梢を鳴らして夕日の影静か也。の峰、の谷、誠に心も澄みぬべし。」

 平家物語「高野の巻」の一節である。この土地に、日本人の心の拠り所のひとつが連綿としてあったことはまちがいないだろう。

 堂宇から離れて千手院橋を渡り、深い木立のなかを奥の院に向かう道へ入るとすぐ、ひときわ大きな石碑が目につく。秀吉の朝鮮の役で犠牲となった敵兵を慰霊したもので、裏には建立者である島津義久、家久父子の名がある。奥には、大名のものもふくめて十万基をこえるという墓があり、平敦盛と熊谷直実、武田信玄と上杉謙信、柴田勝家、明智光秀などが、この同じ場所に眠っている。島津父子のものもあるが、慰霊碑にくらべるとずっと質素である。

 以前、靖国神社を訪ねたとき、その壮麗なたたずまいのうちを歩きながら、ふとそのことを思い出した。鳥羽伏見の戦いから日清、日露の戦い、太平洋戦争と、内外多くの「敵」を殺し、周辺住民を巻き添えにした、その人たちをこの国はどう「慰霊」したのだろうか。

 そうして日本の古い考えかたを仔細にたどってみると、「靖国の慰霊」というものが、日本思想史上突如として現れた極めて非日本的な考えであることに思い至る。勝って敵を誉め、まずはその犠牲を悼む—それが、古い日本の美徳だったはずである。

 麻生太郎外務大臣といえば、吉田茂元総理の孫で、次期総理候補のひとりらしい。この人が、首相の靖国参拝に反発しているのは「中国と韓国だけ」、「天皇陛下が御参拝頂けるように」などと言いだした。閣議で発言が問題にならなかったところを見ると、内閣もこれを認めていて、アジアとことさらに事をかまえても、そういう国に日本をしたいということらしい。

 詩人ハインリッヒ・マンは、ローザ・ルクセンブルグやディミトロフとも親交があり、ドイツ革命の闘士であった。弟のトマス・マンは兄を畏敬してはいたが、生涯「よきブルジョワ子弟」でありつづけた人である。その彼がこう嘆いたことがある。

 「現代で保守主義というのは、文化の擁護をのぞいて、政治的反動以外の何物でもなくなった。」

 小泉首相といい安倍幹事長といい、麻生大臣、谷垣大臣といい、他人の気持ちを顧みようともしない「お坊ちゃん」議員のこれ以上のわがまま勝手で、日本をこれ以上、内にも外にもはた迷惑な国にゆがめさせてはなるまい。ただの迷惑ですまなくなっているからである。

 幸い京都府民には、この4月はじめ、その意思をはっきり示す機会がある。

このページの先頭へ