麻生大臣の不明とトマス・マン
「高野山は帝城を去って二百里、京里を離れて無人、晴嵐梢を鳴らして夕日の影静か也。の峰、の谷、誠に心も澄みぬべし。」
平家物語「高野の巻」の一節である。この土地に、日本人の心の拠り所のひとつが連綿としてあったことはまちがいないだろう。
堂宇から離れて千手院橋を渡り、深い木立のなかを奥の院に向かう道へ入るとすぐ、ひときわ大きな石碑が目につく。秀吉の朝鮮の役で犠牲となった敵兵を慰霊したもので、裏には建立者である島津義久、家久父子の名がある。奥には、大名のものもふくめて十万基をこえるという墓があり、平敦盛と熊谷直実、武田信玄と上杉謙信、柴田勝家、明智光秀などが、この同じ場所に眠っている。島津父子のものもあるが、慰霊碑にくらべるとずっと質素である。